2018年1月17日号    

         対話のための対話
一月も半ばを過ぎると正月などなかったかのように普通の
生活になる感じがしますが、まだ恒例の新年会もあるようで
みなさまはいかがお過ごしでしょうか

昨年、安倍首相が北朝鮮に対話のための対話ではなく
圧力をかける時だ。というようなことを言っていましたが
何か違和感を感じていました。確かに対話を呼びかけても
駄目だし、圧力でいい結果になるのか。疑問もありますが
対話のための対話。という言葉がどうも引っ掛かります

聞き馴染のあるのは「会議のための会議」ですが、会議の
準備に会議したり、何の成果もなく惰性でやってる会議など
でしょうが、私は会議のない生活なので使うこともないです

会議のための会議って外国語の言い回しなんでしょうか
それとも日本の会社文化から生まれた言葉なんでしょうか
もしそうなら一種の言葉遊びということだと思うのですが
国際会議で使うのは相応しくない。とは杞憂でしょうか

年明けから急に北朝鮮が対話路線になりましたが、五輪に
参加するとかしないとか政治の道具にしてると批判されて
いますが、日本も首相が開会式への出席問題で同じ様な
ことをしてるので、とても褒められたものではありません

出るにしろ出ないにしろ爽やかに表明してもらいたいです


                                 (正)

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