2024年9月11日号    

         少子の根 
九月になり朝晩は涼しくなり、日中も過ごし易くなったかと
思ったらやっぱり猛暑が戻ってきたりですんなりいきません
みなさまはいかがお過ごしでしょうか

この欄は相も変わらず時間間際に深く考えもせず書くので
後から気付くことも度々あります。先週も差別の話の流れで
苦し紛れに「育てられないなら生むな」と書いたけど、思えば
障がい者に限らず社会の底流にその考えがある気もします

昔々は5・6人の子沢山は普通にあり、貧乏でも成り立った
のは元から大家族で親のきょうだいも年上の兄姉も子育て
をしたり村中で協力したり、農業が主で食い物はあったから
大丈夫ということなのかなと想像します。現在では難しい

OECD国ではイスラエルが高い出生率だそうですが、一部の
ユダヤ教超正統派が値を押し上げてて他国と事情が違う

別角度で「育てられ‥」を言霊という面で考えてみましたが
そんな言葉を言う機会は滅多にありませんから、言の葉に
言霊が宿って、ということでもなく、もっと深い場所のような

言の葉というからには枝や幹や根もあるのではと思いきや
思いつくのは心根、字違いの心意気(木)、心得(枝)くらい
確かに喋った瞬間に心を離れ葉のようにパラパラと落ちる
と考えれば言の根という単語がないのも頷ける話かもしれん


                                 (正)